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那智の滝コラム「涙の理由」

 その日も朝から激しい雨が続いていた。平和なはずの週末に大雨洪水警報が発令され、街なかでは地下店舗に雨水が流れ込み、大阪駅周辺の地下街まで浸水被害が起きていた。和歌山南部は「巨大な機械から放水しているような」「地鳴りのする」豪雨だったという。紀伊半島の各地に次々と避難勧告が出され、「まさか、山のほうまでは……」と人々が祈るように思っていた矢先、那智の滝周辺が崩れたというニュースが飛び込んできた。増水した川は激流となって家々を飲み込み、山を崩し、鉄橋を崩落させ、熊野、那智勝浦、新宮の人々の交通手段を奪った。

 わずか数日で、一年の2/3におよぶ雨を紀伊半島に降らせた台風12号。雄大な熊野川の両岸に立つ木々に、衣類のような布切れや生活用品が引っかかっている。風で飛ばされたのではなく、そんな高さまで川が溢れたと聞き、あらためて驚く。「うちも流されちゃって」「なすすべもなかった」というのに、人々の表情にはなぜか悲壮感がない。豊かな自然に恵まれた地では、きっと太古の昔からその恐ろしさも目のあたりにしてきたのだろう。とにかく早く元通りに、人々を迎える観光地に戻そうと尽力した、その苦労など忘れたように「もう大丈夫や」と小さく笑う。120キロにわたり寸断され、全線開通は当分不可能と報道されたJRは、わずか3ヶ月で復旧した。
 取材中にご一緒したJR和歌山支局の金丸さんは、その日のことを語ろうとしたとたん、声をつまらせて嗚咽した。突然こみあげてきたようなその涙は、和歌山滞在中に唯一目にした涙だった。

 金丸さんは若い頃、JR天王寺駅の改札で切符を切っていた。大企業に長く勤める中、地域貢献や社会貢献、CSRという言葉はよく耳にしていた。けれど、自分たちの仕事がいったいどれほど地元に貢献しているのか、その実感はあまりなかったという。このたびの災害のあと、地元と企業がまさに一丸となって迎えた全線開通の12月3日。金丸さんが見たものは、沿線で手を振る人々と、とびきりの笑顔だった。駅に着くたび、次の駅へ向かうたび、必死に今日を迎えたであろう同じ和歌山の人々が、「ありがとう」「がんばれ和歌山」と描いた旗を振って笑っている。まるでひとつのチームになったような「オール和歌山」の姿に、金丸さんは男泣きに泣いた。その光景が甦ったのだ。

 樹齢数百年を越える木々に囲まれ、130メートルもの上空から吹き出るように流れ落ちる那智の滝。その音に包まれていると、神々しさと畏敬の念と、無力でちっぽけな自分を感じる。けれど、人は小さくても、人々の力は偉大だ。災害から110日目、和歌山の空はスカッと青く、海は静かで、人々は笑顔だった。

(了)

※文:真柴マキ(ウエルネスジャーナリスト)/2011年情報誌掲載