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医療コラム「その処方、信じて大丈夫?」

夜中に目覚めた高齢者が、トイレに行こうとして転倒し、柱に額を打ちつけて負傷。その前後のことは「何度思い返してみても、何ひとつ思い出せない」。通院が日常の行事になって以来、とみに「思い出せないこと」が多くなっているのが気になり、お薬手帳を拝借。さかのぼって調べてみたら、なんと、一年近くも前から「ハルシオン」が処方されていた。

ハルシオンは、常飲すると中毒症状をおこす「強烈な睡眠薬」である。
仕事でご指導たまわっているドクターによると、麻酔や覚醒剤のような作用を脳神経に与え、「睡眠初期に強く作用して」「深夜に覚醒させ」「ふらつき・転倒・健忘・まれに幻覚がある」。自宅でも転倒事故の可能性が高い高齢者には、とくに注意が必要な強烈な睡眠薬なのだ。つまり、「ハルシオンの副作用」による転倒事故だった。

その高齢者は義母である。病院嫌い&薬は大嫌いの私と違い、昭和ひとケタ生まれの義父母は、病院や医師を心より信じている。ほぼ初対面でかつ3分しか対面していない医師が与えた薬であっても、薬を飲む、ということに全く抵抗がない。量や種類が増え続けて、かつ不快な症状がちっとも良くなっていなくても、それを疑うこともしない。クッキーの丸い空缶の中にぱんぱんに詰まった様々な種類の薬にゾッとしつつ、納めた税金や社会保障負担金が何を目指して撒かれているのやら、複雑な気分になってしまった。

小学校の集団予防接種でショックを起こしたことがある。高熱が出て視力が急激に落ち、記憶が飛び、また記憶できなくなることが増えて、やたらと忘れ物をしだした。身体がだるく、重くて起きられない。いろいろな体調不良に苦しむことになった10代、病院を転々としながら検査ばかり繰り返し、下されるのは「自律神経失調症」とか「精神的〇〇疾患」とかいう、お前の精神が原因だぞ!系の診断が多かった。親は泣いていたけれど、子供だって泣きたかった。

体調不良の子供に人権はない。しんどい顔をしていたら、子供にも大人にも嫌われる。でも、笑ってない子供は体が「いっぱいいっぱい」で、笑う余裕がないのだ。
子供ながらだんだん医者不審になり、ついにむずかしい病名を誤診で与えられ、晴れて入院することとなった。…でも、自分が病人ではないことは、自分が一番わかっていた。薬を飲んでもよくならない。それどころが、今度は皮膚疾患の症状に悩まされた。だんだん、薬は飲むものではなく、こっそり捨てるものになっていった。

あの数々の不調が「薬害」と判明したのは数十年も経ってから、すっかり大人になって受けた歯科検診でのことだった。「口の中に毒が埋まっている、この治療はいつ受けたのか」という院長の指摘に、フラッシュバックするかのように記憶がよみがえった。予防接種の少し前に、歯医者で詰め物を入れられた。その詰め物が、予防接種の薬剤と体の中で悪さをしていたのだ。
まるで時効寸前に犯人を追い詰めた刑事のような、濃い霧のロンドンからハワイの快晴にワープしたような気分だった。

ハルシオンは急にやめると「さらに眠れなくなる」禁断症状を起こす。義母には、しばらくは薬を割って半量を服用してもらうことにした。
裂けた額の傷口からかなりの出血があったおかげで、大事にはいたらなかった(頭の負傷は血が見えない方が後からが怖い)。「後期高齢者」という年齢を考えると、「今のつらい症状」が改善されるなら、もう何をやってもいい、とも思う。でもそもそも、それほどまでして「夜眠らなければならない理由」がどこにあるのだろう? 出勤も通学もない、隠居した夫婦の二人暮らしなのだ。眠くなったら眠ればいい、目が覚めたのなら起きていればいい。
今回の転倒によって歩けなくなっていたら、それで寝たきりになっていたら、それも「薬害」なのではないだろうか。

もう先がそうないとはいえ、無防備な高齢者に、ずいぶん乱暴で無責任な処方だなあと不審感だけが残った身内の事件。
もちろん、 いいドクターに出会えたら、適切な治療や最良の処方を受けられる。
けれど「乱暴で無責任な処方」というのも、残念ながら、やっぱりあるのだ。
この処方薬はいったい、義母を幸せにしたのだろうか?

(※文/真柴 マキ 2012年の「薬に関する取材メモ」を改筆)